Kの日記

多弁な人は文字であろうが音声であろうが何か言ってないと死んでしまう。

夢じゃ食えない

夢じゃ飯は食えない。嘘です、嘘。食っている人はいる。僕が夢で食っていけないと思っているのはそもそもの目標地点が曖昧だからなのであって結局こっちサイドの問題なわけです。将来の夢は?って訊かれてすぐに答えられないのは、その語った夢で自分がどの程度の人間であるか測られたくないから。例えばこれは決して馬鹿にするわけじゃないし、寧ろ尊敬の念を抱く対象でもあるんだけど公務員を夢として語るとどうしても「堅実」「冒険心が無い」「面白味がない」とといったイメージを与えてしまう。マウンティングがライフワークな見掛け倒しのハリボテ野郎にはそんなことできない。もっと「本気出したら凄い」「なにかデカイことしそう」というあやふやかつ奥行きのありそうなメタイメージを与えなければいけないから「うーんなんだろwwwとにかく普通のサラリーマンとかやってる奴の気がしれないよねww人に媚びって給料もらってその繰り返しってwww生きてて楽しいのwww」と自分を追求するのではなく、他人を批判する事で逃げるのである。

言っておくが僕にだって夢はあった。幼稚園の時はお笑い芸人になりたかったし、小学校四年生までは真剣に犬のブリーダーになるつもりだった。しかし歳をとるにつれ、僕らの思考プロセスには馬鹿みたいなレイヤーが馬鹿みたいな量増える。お笑い芸人はコネとカネと運の世界だと知る。犬のブリーダーは犬を手放す仕事だと知る。あの仕事についている奴は馬鹿だとか、学歴があるとかないとか、モテるとかモテないとか、稼げるとか稼げないとか。いつからか表明する夢は「自分がやりたいこと」ではなくて「周りから認識されたい自分の理想像がやりたいこと」に取って代わり、自己顕示欲と現実と下らない恥が邪魔をして、結局逃げる事しかできなくなった。

好きなことでお金を稼ぐことは素晴らしい。例えそれが大工でも銀行マンでもバンドマンでも風俗嬢でも。そこで「いや、、〇〇はないっしょ、、流石に、、」と思う人は相対評価の成れの果て、でもわかるよ。その気持ち超わかる。

だけど周りと自分を比べることはなんの得にもならない。どんなに給料が低くても自分が満足であり、その職に就くことが夢を叶えるということだ。そこにスケールだの、面白いだのの要素はない。

純粋になんのエフェクターも通さずにクリーンで自分の意見を言える日はいつか来るのだろうか。