Kの日記

多弁な人は文字であろうが音声であろうが何か言ってないと死んでしまう。

ドラッグ!セックス!アルコール!

なんて高らかに叫ぶ人生を送ってはいない。何なら部屋の隅でジメジメとマウスをドラッグ。着ている洋服はユニセックス。届かぬあの子にラブコールみたいな高校生である。故にきらりきらりと光っておられる男子高校生の群れを見ては歯をすり減らす日々を送っている訳だが、しかしながら先日帰路の電車の中で騒がしい男子高校生をぼうっとながめて1つ疑問が生じた。果たして今現在のハイスクールスチューデントは本当にヤクと女と酒を生きがいに生きているのか?
歴史は蓄積し、僕らはその屍の上に立っている。時の流れは人間を賢くし、賢さはまた臆病さの裏返しである。所謂「荒れていた時代」の1世代後を生きている僕らからしたら、暴力的かつ非道徳的なものを礎に成り立つ美学など語ることさえも許されない禁忌であったように感じる。教師はそれを絶対悪と説き、僕らはそういうものだと納得した。誰も傷つかない、健常で衛生的で真っ白な社会だ。
しかしながら1つだけその場に生きるものとして言わせてもらうとしたら退屈すぎる。レールから逸れぬようにと少年少女は校則で拘束され、1度の失敗は社会的死に直結するというなんの正当性もない風潮は社会全体に蔓延し、ホメオパシーを知らぬ教師が幾人もの「ちょっと違う」生徒を殺す。もし僕が学校で(別に必要性があるとも思わないが)「ドラッグセックスアルコール」なんて叫んだら、明日から僕の席はないだろう。ドラッグだろうがアルコールだろうがちょっと痛い目見るくらいが丁度いいんじゃないのか?1度の失敗くらい多めに見てやってはくれないのか?多分あんたは時代遅れなんでしょうよ。はいはいわかっておりますよ。恥の多い生涯を送ることさえできない、金持ち貴族の専制農業のように美しい果実を摘んでゆけばいい。あたしは早々に腐り果てて地球と1つになりませう。